「同じ」は同じではない【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第28回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第28回
【「同じ」という認識はデジタル】
ある範囲のものを「同じ」とみなすことを、「デジタル」という。実際には相違があるものを、「この範囲はすべて同じ」と決める。これがデジタルであり、この割り切りによって、本当は違っているものを数えることができるようになるし、また、「同じ」ものだと思い込めるのである。
「同じ人間じゃないか」と平和を訴えるのも、そんなデジタル精神から来ている。だが、紛争の地で戦っている人たちは「同じ人間」だとは思っていないのだ。
数字がそうであるのと同様に、「言葉」というものが、そもそもデジタルだ。「赤い」といえば、いろいろな赤っぽい色をすべて「同じ色」にする。たとえば、気持ちを言葉にするときも、このデジタル化が行われる。そして、言葉だけを比較して、「私たちは同じ気持ちだ」と判定するのである。
実は同じであるはずがない。「自然は美しい」「人を愛する」「弱者に寄り添う」と言葉になったものは、同じ意味に集約されているように見えるが、本当はあまりにも望洋としている。「日本人だ」と指差されても、「えっと、僕って日本人なの?」というのが本当の気持ちだし、実際、子供たちはみんな最初そう考えているだろう。それが、大人になるほど、その「言葉」による分類に支配される。これを「分別がつく」というのである。
大人になりかけの子供たちは、何をきかれても、「楽しかった」「可愛かった」「美味しかった」と答える。自分たちの気持ちを隠蔽し、大人に通じるデジタル信号を選択するのだ。だから、どの子供も「同じ」社会人に育っていく。
ドラマや漫画の聖地へ人が押しかける。そこが「同じ場所」だというのだ。だが、単に地名というデジタル化で識別されているだけのこと。実際、地球は自転し公転しているから、その位置は刻一刻ともの凄い速度で移動している。同じ位置ではありえない。まあ、これはちょっと理系寄りのジョークだが。
結局、「同じ」だと思い込むには、なんらかの範囲の指定、すなわち定義が必要であり、その定義を決めたのは自分ではない場合がほとんどだ。そこに注意してもらいたい。自分で決めたわけでもないルールによる分類に基づいて「同じ」だといっているのに過ぎない。
日本人だと決めたのは、いったい誰なのか? 外国人とは、いったいどういう人間のことか。「移民」をあたかも「異民」のように毛嫌いするのは、誰の仕業なのだろうか?
一方で、相性ぴったりで結婚したカップルが離婚する確率が近年かなり高い数字になっている。「性格の不一致」なんておっしゃるけれど、一致する方がおかしいと思わないのだろうか? どうやったら、性格が同じになれるのか?
同じ小説を読んだ人と話をしたい、と沢山の読者が呟いているけれど、小説は言葉で構成されたデジタル作品だから、同じ小説を読むことは可能だが、それを読んで同じ感想を持つことはありえない。広い宇宙で、人間が住める惑星を見つけるくらいの確率かもしれない。
KEYWORDS:
✴︎森博嗣 極上エッセィ好評既刊✴︎
『静かに生きて考える Thinking in Calm Life』
✴︎絶賛発売中✴︎
★森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。
世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。